プレッピースタイルとは何か? ― “清潔感”の文化史
フォーマルでもない。ストリートでもない。けれど、どこか上品で整っている──。
1950年代のアメリカ東海岸で生まれたこのスタイルは、服を「装飾」ではなく「姿勢」として捉えた若者たちの文化だった。
ローファー、チノ、オックスフォードシャツ。 その組み合わせの裏には“清潔感”という時代を超える価値観が息づいている。
「フォーマルでもない。ストリートでもない。けれど、どこか上品で整っている」— 清潔感という普遍的な美意識。
プレッピースタイル(Preppy Style)の“Preppy”とは、アメリカ東部の名門私立高校 Preparatory School に通う学生たちを指す言葉だ。1950年代、彼らは制服のような服装を日常着として着こなし、 そこに“知的さ”と“控えめな洒落気”を同居させた。 それは、後に「IVYルック」と呼ばれるムーブメントへと発展していく。

(イメージ)1950〜60年代に見られたIVYスタイルの典型。
彼らが纏っていたのは、チノパンやオックスフォードシャツ、ネイビーブレザー。 そして足元には、いつもローファーがあった。 当時のアメリカでローファーは、紐を結ぶ手間のない“気楽な革靴”として人気を集めていた。
だがプレッピーにとって、それは単なる快適さではなく、 「自立した若者の象徴」としての意味を持っていたのだ。 磨き上げた革靴を履き、カジュアルでいながらもだらしなく見えない。 その佇まいこそが、彼らの美意識だった。
IVYが広がるまで:大学文化と雑誌の力
やがてこのプレッピースタイルは、アメリカの大学文化に浸透し、 アイビーリーグの学生たちが発信する「IVYファッション」として全国へ広がった。 そして1960年代、日本でも雑誌『MEN’S CLUB』やブランドVANが火付け役となり、 “アイビールック”として社会現象に。
学生たちはこぞってローファーを履き、ブレザーに細身のチノを合わせた。 それは「大人っぽさ」と「知的さ」を手に入れるための制服でもあった。
「反骨」としての抜け
しかしプレッピーが面白いのは、その“反骨精神”だ。 当時の彼らは、親世代が好むフォーマルなスーツ文化に飽きていた。 ネクタイをゆるめ、靴紐をなくし、少しだけ抜けた着こなしをする。 それは「型を壊す」ための知的なユーモアだった。 プレッピーとはつまり、“礼儀正しい自由人”の装いだったのだ。 この価値観は、時代を経ても確実に残っている。

現代に残る“清潔感”の美学
ラルフ・ローレンが築いたアメリカン・クラシックも、 トミー・ヒルフィガーやJ.Crewが作ったカジュアル・エレガンスも、 そのルーツを辿れば、すべてプレッピーに行き着く。 そして今の東京でも、あの“清潔感のある抜け”を求める空気が確かにある。
STANCLANがつくるPENNYも、その現代的解釈の一例だ。革靴のように端正で、スニーカーのように軽やか。どこへ行っても浮かず、けれど埋もれない。 “清潔感”と“自由さ”が同居する足元。 それこそが、プレッピーが今も教えてくれる美意識だ。
「形式の中にある自由」— その言葉は、いまも靴の中に息づいている。
次回(Vol.2):IVYからアメトラへ ― ストリートに降りた品格